マスティハの名はギリシャ・キオス島南部に残る中世の入植地の名称にも受け継がれています。“マスティホホリア(マスティハの村)”と呼ばれ、世界中でこの地域だけしかマスティハは採取できません。この貴重な樹脂はずっと昔からこの地区の住人の主な収入源でした。
人々がこの地に定住し始めたのはビザンチン時代にまでさかのぼります。しかし樹脂採取の方法が確立し体系化されたのは、もっと遅いジェノバ統治時代(1346〜1566年)のことです。ギリシャの歴史と同じく、キオス島も何世紀にも渡って他民族による破壊と略奪にさらされました。自然災害による被害もありました。しかしマスティホホリアでは今もなお中世の面影を数多くとどめ、文化遺産的価値も高く評価されています。
中世のエーゲ海沿岸地域は、海賊の被害に悩まされていました。キオス島も例外ではなく、人々は海から見えにくい場所に集落を形成していきました。高い塔を中心に周囲を防護壁のようにぐるりと住居が取り囲む要塞のような形は、この島の集落に共通してみられる特徴です。こうした集落の形成はマスティハの独占的な生産管理にも必要な選択でした。
現在マスティハはキオス島南部の24の村々で採取されます。これらは現存する伝統集落としてギリシャ文化省により史跡指定を受けました。指定を受けた村は次のとおりです。
Agios Georgios, Armolia, Vavyloi, Vessa, Vouno, Elata, Exo Didyma, Tholopotami, Thymiana, Kalamoti, Kallimasia, Katarraktis, Lithi, Mesa Didyma, Mesta, Myrmingi, Nenita, Nehori, Olympoi, Pagida, Patrikia, Pyrgi, Flatsia |